プログラムノート
ピアノリサイタル
2014年5月20日(火) 南麻布セントレホール
バッハ 平均律クラヴィーア曲集 第2巻より 前奏曲とフーガ 二長調
二短調
シューベルト 3つのピアノ曲 D946より 第1曲 変ホ短調
第2曲 変ホ長調
ベートーヴェン ピアノソナタ 第27番 ホ短調 作品90
ショパン 24の前奏曲 作品28
(アンコール) バッハ フランス組曲 第6番より サラバンド
~プログラムより~
ある音楽が人の心の琴線に触れる時、そこには様々な形で調性の力が及んでいます。個々の調の特徴、調の交差から生まれる綾、呪縛と解放、類似と対比、調の多様性とその連鎖、連鎖から広がる無限の可能性・・・
調性から得た豊かなインスピレーションを基に大作曲家たちが描いた世界を皆様と共有できたら幸いです。
バッハが「平均律クラヴィーア曲集」において、西洋音楽を構成する二十四の全ての調を確立したのは、音楽史上もっとも画期的な出来事でした。鍵盤上の全ての音と調を独立させ、長調と短調による曲想の違いや調性による表現の可能性を開示したのです。本日演奏いたします二組の前奏曲とフーガでは、長調と短調の対比が前面に出されています。華やかに上昇する音階と共に始まる二長調が、管弦楽合奏や合唱のように大きな編成を連想させ、快活で外向的な性格を持つのに対し、急な下降に始まり半音階を駆使している二短調は、打鍵した音は必ず消えゆく運命にあるという、鍵盤楽器ならではの内向的なドラマを描いています。
バッハが全調を確立してから約一世紀が経ち、それらの調を自在に操ることに成功した初めての作曲家がシューベルトでした。ロマン主義、すなわち個人主義が発展した時代に生きた彼にとって、長調と短調は対比するだけではなく、複雑に混じり合い、行き来し合うものであり、それは彼の個人的な心情を表す手段でした。最晩年に書かれた「三つのピアノ曲」の中のこの二曲では、絶望の中で光を求め、安らぎの内に潜む悪魔を見つめる、自らの移ろう心を、シューベルトは長調と短調の交差のなかで描写しています。
交響曲「運命」や「田園」、ピアノ協奏曲「皇帝」等を世に送り出し、常に自由と進歩を求めていたベートーヴェンが、それまで歩んできた道に限界を感じ、作曲技法を確立出来ないでいた時期がありました。そんな中、彼はピアノソナタ第二十七番をそれまでとは全く違う手法で生み出します。第一楽章はホ短調、第二楽章はホ長調で書かれており、両楽章がそれらの調から大きく転調することはありません。表現の自由と拡大を求めてきた作曲家が、このソナタにおいては自らに調性の呪縛を課しているかのようです。しかし主調から離脱せず、有限の世界に留まることによって、ベートーヴェンはそれまでとは異なる表現の自由を獲得することが出来たのです。
ハ長調を起点に、平行調へと移行しながら五度ずつ上昇すると、全ての調を経て二短調へ終着します。ショパンの「二十四の前奏曲」の各調は、喜び、悲しみ、怒り、憂鬱、安らぎなと、二十四の独立した、個性豊かな表情を持っています。しかし、生命力と期待に満ちたハ長調は、必ずや二短調の悲劇へ突き進まなければならない、という絶対的な法則が、多様な調の世界を一体化させ、各調の連鎖はいつしか大きな流れとなり、巨大な宇宙を創りあげるのです。
ピアノリサイタル
2012年2月24日(金) カワイ表参道コンサートサロン・パウゼ
ベートーベン ピアノソナタ 第31番 変イ長調 作品110
バッハ=ブラームス編曲(渡辺敬子編集) シャコンヌ(左手のための)
シューマン クライスレリアーナ 作品16
(アンコール) ブラームス 6つの小品 作品118より
第2曲 Andante teneramente
~プログラムより~
「束縛に生きる者は自由を求め、自由に生きる者は束縛の価値を知る」
形式と自由・・・芸術において、前者は知性と堅牢性、過去への繋がりを、後者は豊かな情緒と魂の解放、未来へのロマンを意味します。過去と未来の間で作曲家が語ろうとした現在という真実を皆様と見つめたいと思います。
常に芸術の「自由と進歩」を追求してきたベートーヴェンの姿勢に、1812年頃から変化が見られるようになります。恋愛関係の希望を失い、旧貴族体制が復興した政治情勢に失望し、もはや「進歩」という理想に捧げる創作への意欲を持てなくなります。そのような中、新たな思考の枠組みを求める彼の助けとなったのは、祖先の持つ「堅牢性」―バッハの音楽―でした。1821年に作曲されたピアノソナタ作品110は、純粋で美しい第1楽章、当時流行した民謡を引用しユーモアと皮肉を持った第2楽章、そして深い情感に満ちた「苦悩」の表現である「嘆きの歌」(アリオーゾ・ドレンテ)と、希望と理性の象徴としてのフーガが、交互に表れる第3楽章から構成されています。バッハから受け継いだフーガという形式と感情表現を組み合わせたこと、さらにそれを楽曲の頂点である最終楽章で用いたことで、以前の作品のように「苦悩の克服から勝利へ」英雄的に完結するものとは形式的、精神的に異なる、「苦悩から救いへ」希望を残して終わる新たなフィナーレの創造に成功したのです。
1720年に作曲されたバッハの無伴奏ヴァイオリンのためのパルティータ第2番の終曲「シャコンヌ」は、その内容の豊かさと深い精神性から、後世の作曲家達のインスピレーションを駆り立て様々な編曲が行われてきました。4小節の主題をもとに、前半では和声とリズムの変奏が緊張感を持って理性的に組み立てられますが、後半は魂が解放されたように情感に直接訴えかけるものへと拡がって行きます。理性と情感、形式と自由の美しい融合から生まれる、人間の歴史を感じさせるようなこの壮大な曲を、ブラームスは右手を痛めていたクララ・シューマンに贈りました。数多くの主観的な編曲が存在する中、ブラームスのものは極めて原曲に近い音の構成でなされていますが、当時のロマンチックなヴァイオリン奏法からの影響が少なからず見受けられます。彼が、バッハの音楽を世に広めた偉大なヴァイオリニスト、ヨアヒムから受けたであろうインスピレーションを損なわず、かつ、原曲の忠実な再現というブラームスの意志を受け継ぎたいという思いから、バロック奏法の研究が進んだ現在、私なりに原曲を研究し、バッハの本来の意図に近付けるよう、必要最小限、強弱やアーティキュレーション等の変更を致しました。
シューマンの音楽語法は当時の人々にとって斬新で難解でした。「クライスレリアーナ」も大胆な和声展開、旋律とリズム同士の複雑な絡み合いで構成されており、モティーフの発展においてはもはや耳で追うことが不可能な程変形されています。しかし、これらの知的で綿密な作業によって彼が表現したものは、溢れる感情、豊かな情緒でした。この曲が書かれた1838年、シューマンは恋人のクララの父親に結婚を反対、妨害され、彼女と会うことさえ出来ない状況に置かれていました。彼女へ宛てた手紙に、「この作品は君と、君への僕の想いが主役を果たす音楽です。これを君に捧げます。他の誰でもなく、君に。」と綴っています。モティ―フが絡み合い作用し合うことによって、人間の複雑な感情の揺れが表現され、「心の底から出た言葉に満ちた音楽」と彼自身が記した作品です。
ピアノリサイタル
2011年4月20日(水) カワイサロンコンサートin表参道
シューマン 「蝶々」作品2
シューベルト 3つのピアノ曲 D.946より 第一曲、第二曲
ベートーヴェン ピアノソナタ 第14番 嬰ハ短調 作品27-2
ショパン 幻想ポロネーズ 作品61
スクリャービン 前奏曲 作品16-2
練習曲 作品8-12
(アンコール) スクリャービン 「左手のための前奏曲とノクターン」より「前奏曲」
~プログラムより~
喜と悲、知と情、男と女、陽と陰、生と死、天と地・・・相反する二つの世界の中から
生まれるのが私達の人生です。この両極を成すものは、ある時は全く違う二つの世界
であり、またある時は裏表の両面性となり得て、そしてある時はこの矛盾する二つのものが融合して一つの世界を創ります。例えば、悲しみと喜びは全く別の感情であることもあれば、それらを行き来することも、また同時に感じることもあるでしょう。
今回のプログラムでは、両極端の世界の分離、両立、相互関係、融合、そしてその先、という道のりを辿っていきます。
文学青年であったシューマンは、ジャン・パウルの「生意気盛り」のなかの仮面舞踏会の情景から着想を得て、「蝶々」を作曲しました。夢想家のヴァルト、行動家のヴルトという双子の兄弟がそれぞれの場面で登場します。シューマンは生涯、文学と音楽の完全な融合を図りましたが、その不可能に直面し、悩み、やがて二つは彼の中で分裂してゆきました。夢想と行動・・・完全になるために融合されるべき二つのものを分離させ、それらの違いを際立たせている若きシューマンのこの作品からは、彼が後に辿ることとなる運命の前兆が見て取れるかのようです。
シューベルトの晩年の作品の中では常に光と闇が共存しています。また彼が好んだ同じテーマを長調と短調で表す手法は、同じ一人の人間の精神の両面性を描くものです。この曲においても彼の純粋で優しい面と、純粋だからこそ残酷で暗い面が両立されています。なおD946の3つのピアノ曲は彼の死後、ブラームスによって三曲がまとめられ出版されたのですが、後の研究により、第一、ニ曲と第三曲は別の時期に別に作曲されたものであることが分かっています。この二つの間の曲の内容に隔たりがあることと、今回のプログラムのテーマと考慮したうえで、第一曲、第二曲のみを演奏させていただきます。
ベートーヴェンのピアノソナタ作品27の2は、この世の両極とその相互関係を表現した作品といえます。葬送の刻みで進む第一楽章と、地獄のような第三楽章、そしてその合間の軽やかで明るくユーモアに富んだ第二楽章。これらが互いの性格を強調し合っていることにより、両極の世界が鮮やかに映し出されます。
ショパンの幻想ポロネーズは、まるであらゆる相反するものの融合のようです。
晩年のショパンが感じていた、幸福と悲しみ、希望と過去、明るさと暗闇、男性的なものと女性的なもの、そして生と死・・・それらの境界が無くなるとどこに行きつくのでしょうか。
融合・統合は秩序を生み、それはやがて崩壊を迎えます。そしてその中からまた新しい秩序が、未来が生まれるのです。スクリャービンの音楽がそうであるように・・・。
イタリアから帰国し日本で活動を始めたこの一年間は、自分の生き方を模索する時間でした。そしてそれは私にとっては、何のために、何を伝える演奏をするかを考えることであり、音楽をより深く広く見つめるようになりました。私達の世界、私達の人生の在り方を映し出すこれらの曲に向かい合うひと時を皆様と共有させていただけることは、演奏家として、そして一人の人間として嬉しく思います。
ピアノリサイタル
2009年8月28日(金) フィリアホール
モーツァルト ピアノソナタ 変ロ長調 K.333
シューマン 幻想小曲集 作品12
ショパン バラード第1番 ト短調 作品23
ラフマニノフ 6つの楽興の時 作品16
アンコール; シューマン トロイメライ
~プログラムより~
作曲家が魂を込めて作品を生み出す時、どんな精神状態にあったか、どんな社会状況に置かれていたか、その人生と無関係なものが作られることは不可能であり、だからこそ時代や民族を超えて人々に感動と共感を与えるのだと思います。
今回選んだ作品はすべて、彼らが20代の頃、その人生に大きな影響を与えた大切な人との出会いや出来事のなかで、作曲家としても大きく飛躍していった時期のものです。
モーツァルトのソナタは、彼が父親から離れ、そして結婚、音楽家としてもウィーンで成功し、自由と希望であふれていた時に作られました。
幻想小曲集を書いた頃のシューマンは、師ヴィ―クの娘でピアニストのクララと熱烈な恋に落ち、一生添い続けることを共に誓いながら、ヴィークの強い反対と妨害によって引き裂かれ、会うことすら出来ない状況にいました。
「夜に」では、「愛する人の待つ灯台のもとに男が夜の暗い海を泳いで渡り、抱擁の時を過ごし、やがてすべてを夜が包んでしまう」という恋人たちの幻想的な物語を引用しています。また「歌の終わり」について、自身がクララへの手紙の中で、「曲集の終曲はすべてが楽しい結婚式へ溶け込むということでしたが、やはり終曲では君を想う胸の痛みが返ってきて、婚礼の鐘と葬式の鐘とが入り混じって聞こえてくるのでした」と書き送っています。
バラードを書いた頃のショパンは、祖国ポーランドのワルシャワ動乱、そして陥落という悲惨な状況を外国で知り、祖国や家族への心配、孤独を抱えながらパリに到着、一方そこで多くの音楽家、芸術家たちと出会い、演奏会を開いたり、社交界に出入りしながら、一層幅広い表現をもつ数々の曲を生み出しました。
ちなみに、この数年後同じ年齢であるシューマンとショパンは出会い、その時にシューマンがショパンに向って、彼がこのバラードをショパンの全楽曲の中で一番好きだと述べた、というエピソードがあります。
ラフマニノフの楽興の時は、すでにピアニストとしては成功をおさめていた彼が、初めての交響曲を作曲し完成させ、その初演をひかえて、不安や心配、そして希望との間で揺れながら待っていた時に生まれました。
彼らがこれらの曲を作曲した20代、私も7年に渡るイタリアでの生活の中で、人間としても、音楽家としても、大きな影響を受けた大切ないくつかの出会いがありました。以前はこれらの作品を想像と勉強の力で理解していましたが、今はすんなり心で共感することが出来ます。
皆様とそれを分かち合えたら幸いです。